2016年5月29日日曜日

LibreOffice のイタリア語UI

日常的なUIメニューに飽きてくるとソフトウェアのUIをイタリア語に切り替えるということをすることがある。 イタリア語ができるわけではない。 日本語や英語のメニューでこう書いてあった場所だからイタリア語のこの言葉の意味はそういう意味だ、と認識さえできれば大抵のことは何とかなるからただの気分転換だ。 一度、使用契約の更新の類がイタリア語で案内されて絶望的な気分になったことはあるが、その時も結局契約の書面自体は英語だった。 まあつまり、だいたい何とかなる。

で、LibreOffice である。

イタリア語に切り替えて、Calc で和を計算しようとした。 =SUM(A1:A19) みたいなことをセルに打ち込むわけである。

#NOME?

「はぁ?」である。 nome はイタリア語で「名前」である。 つまり関数名を間違ったときなどに見る #NAME? というエラーだ。

いやちょっと待て。 そこは日本語UIでも英語で #NAME? であって #名前? ではないぞ。 つまり? 逆に考えれば?

SUM という関数名も SOMMA とイタリア語化するのだ!

うわぁ、まじか…

ということで、とても使える自信が無いので諦めて日本語に戻した。 この挙動は Excel とかでもそうなのかな?

2016年5月5日木曜日

ピュタゴラス学派の失敗

ピュタゴラス学派は万物は数(整数またはその比)であるという思想を持っていた。 ところが、あるとき正方形の対角線に無理数(\(\sqrt{2}\))を見出してしまい、その発見者は海に沈められたとか何とか。 要するに万物は数「ではなかった」という結論を出してしまったので、ここではそれをピュタゴラス学派の失敗と呼ぶことにする。 もちろん、後世に与えた影響という意味ではこのピュタゴラスの定理はポジティブな評価を受けこそすれ失敗なんかではないと思われるわけではあるが。

さて、ピュタゴラス学派の失敗は、どこで道を踏み外したものだったのだろうか。 直接的にはピュタゴラスの定理を発見してしまったことにあるわけだが、もう少し深く考えたい。 離散的世界では幾何学が何かもっと別のものにならなければおかしいのではないだろうか。

離散的世界のモデルとして、世界は砂場の砂だと考えてみよう。 点は砂粒である。 直線が既に引ける気がしないが、とりあえず砂粒の間には「隣り合う」という関係があるとしよう。 そして任意に選んだ二粒の間を結ぶ最も少ない回数の隣り合う関係をその二点間の距離と考える。 距離の公理ぐらいは満たすと思おう(「隣り合う」の定義が曖昧なので何とも言えないが)。 距離を与える経路を直線ということにする(多分複数本引ける)。

と、こんな具合にユークリッド幾何学(はピュタゴラスの後の話ではあるが)とは違う世界で物事を考えないといけなかったのではないかと思うわけである。 こうすると三角形をどう考えても(直角三角形を考えるための「直角」をどう定義するか解らないが)斜辺の長さも常に整数なので、無理数なんか出現しない。 じゃあピュタゴラスの定理とは何を意味するのか? それは近似である。 平均的挙動である。 言い方を変えると極限である。 三角形を大きくしていくと比が収束していく先の話である。 常に極限を考えていれば、世界はのっぺりとした連続的なものに見えて、そこにユークリッド幾何学が現れる(ような設定も可能だろう)。

結局のところ、「万物は数」と離散的な世界観に基づいて考えたはずだったのに、 任意の二点間に一本の直線が引けるというような連続的空間の把握を重ねたのがそもそも間違いだったのではなかったか、と思うわけである。