2016年12月24日土曜日

トリウム熔融塩炉関連読書案内

ここ数ヶ月でトリウム熔融塩炉に関する本をまとめて読んだので、読書案内という形でまとめてみる。

ざっと、本当に簡単に、背景知識というか概略を説明しておく。

現在普通に見られる原子炉で使われている燃料はウラン235である。 ウラン235は天然のウラン中に約0.7%存在する同位体である。 残りほとんどはウラン238である。 燃料としてのウランはウラン235の比率を高めてある(場合が多い)。 燃料ではない方のウランすなわちウラン238に中性子が吸収された場合、核分裂せずに2度のβ崩壊によってプルトニウム239になる。 プルトニウム239は核分裂する。 ということで、使用済み核燃料の中にはまだ核分裂する物質が残っているので、集めて使おうという発想が出てくる。 とくに、新たに作られるプルトニウムを効率よく作りだそうというのが廃炉になるもんじゅなどで進められていた増殖炉という構想である。

一方のトリウムはウランより2つ原子番号が小さい元素で天然のトリウムの同位体構成はほぼ100%トリウム232である。 トリウム232はウラン238に似てそれ自体が核分裂するわけではなく中性子を吸収すると2度のβ崩壊によってウラン233になり、これが核分裂する。 そういうわけで、トリウム232をウラン233に転換しながらウラン233を核分裂させる状態を維持すれば、原子炉として運転できるわけである。 この反応ではプルトニウムはほとんど生み出されないし、ウラン233(と不純物として紛れ込むウラン232)は放射能が強く核兵器に転用しづらいという政治的安全性がある。

もう一つのキーワード「熔融塩炉」は、現在の原子炉が金属の容器に閉じ込めたウランを水で冷却する方式であるのに対し、 溶融塩という言うなれば溶岩のような高温の液体の中にトリウムを混ぜ込んで反応を進める方式である。 利点として、燃料交換が不要になること安全性が格段に向上することなどが見込まれている。 冷戦時代のアメリカで実験炉が運転されていたことはあるが、その後すっかり忘れ去られていた技術である。

福島での事故が起きてから世界的に原発への風当たりは強いが、 「原子力が全ていけないわけではない。悪いのはウラン軽水炉という現行の原子炉の基本設計である」 という意見の代表として注目されているのがトリウム熔融塩炉なのである。

前置きが長くなったが、ここからが本題の読書案内である。

古川和男「原発安全革命」文春新書

とにかく、これを読むべき。

古川和男氏はアメリカで実験炉が運転されていた頃からトリウムに注目し、 その後 FUJI というトリウム熔融塩炉の設計を行った。 この本は、なぜトリウムなのか、なぜ熔融塩炉なのかという背景から、FUJI の概略やそういった炉が社会に及ぼすインパクトまで一般向けに解説している。 2001年に出版された「「原発」革命」を2011年の福島の事故を踏まえて増補改訂したものである。 上に書いたような概略の先を知るためにはまずこの本を読むのがお勧め。

亀井敬史「平和のエネルギートリウム原子力」雅粒社

トリウムの利用に関する世界の動向を紹介しているわずか80ページほどの本。 出版年は2010年。 次に紹介する「トリウム原子炉の道」と合わせて読むと良いかも。

II もあってその後の展開をフォローしているがいささかやっつけ感があり、そこまで無理して読まなくてもいい。

リチャード・マーティン「トリウム原子炉の道」朝日選書

冷戦時代のアメリカで実験炉があったのになぜトリウム熔融塩炉は実用化されなかったのか。 なぜ今世界で再び注目を集めているのか。 といった方向からアメリカのジャーナリストが取材した本。 YouTube でトリウムを検索すると大量に出てくるカーク・ソレンセンの名前も何度か登場する。

金子和夫「「原発」、もう一つの選択」ごま書房新社

そろそろこの辺りから別に読まなくても…という感じになってはくるのだが、せっかくなので紹介を続けよう。

現実路線というか、新規のトリウム原子炉を建設する前に現在あるウラン軽水炉の燃料集合体の一部を小型のトリウム溶融塩炉に置き換える RinR (reactor in reactor) という構想が紹介されているのが目新しい話題。 ハルデン実験炉、という国際的に研究のために共同運用されているノルウェーにある原子炉でこの実験をする契約を交わしたそうなので、一番早く聞くことになりそうな日本のトリウム炉のニュースは RinR だろう。

亀井敬史ほか「トリウム溶融塩炉で野菜工場をつくる」雅粒社

「平和のエネルギートリウム原子力」を書いた亀井も一枚噛んでいる町おこしにトリウム熔融塩炉を活用しようという構想の紹介。

長瀬隆「トリウム原子炉革命」小石川ユニット

副題が「古川和男・ヒロシマからの出発」ということで、上で紹介した古川に衝撃を受けた個人的体験談というようなもの。

2016年11月25日金曜日

Gentoo Prefix から Homebrew へ移行

長年 Gentoo Prefix を使ってきたが、bootstrap が上手く行かないことが続いたりして限界を感じていた。 ということで、Homebrew に乗り換える。 まあ、基本的に Emacs で wanderlust さえ動けば移行に支障は無い。

Emacs。 最初、brew install emacs したらターミナルでしか動かなくて、どうしようかと思ったが、 --with-cocoa を渡してやったら Emacs.app もインストールされた。 brew linkapps emacs しておくと /Applications にリンクも張ってくれる。 便利じゃないか。

wanderlust。 Gentoo Prefix ではパッケージで入れていたが、最近は melpa で入れられる。 ということで、インストールした Emacs で M-x package-list-packages で wanderlust を選んであっという間にインストール完了。

おまけ。 brew install lesspipe して export LESSOPEN="|lesspipe.sh %s" と設定すると、 Mac でも linux みたいに gzip されたものが less で開ける、というのを最近知った。

2016年6月2日木曜日

階乗の集合の等しい積への分割 (はできない)

\(\{1, 2, \ldots, n\}\) を二つの部分集合に分割したとき、その積が一致することはない。 では \(\{1!, 2!, \ldots, n!\}\) にも同様に積が一致するような分割はないと証明できるか、というのがツイッターで流れてきたので考えてみた。

まず \([n] = \{1, 2, \ldots, n\}\) の場合を振り返っておこう。 二つの部分集合に分割して積が一致するならば、全体の積 \(n!\) は平方数である。 \(n=2,3\) の場合はこれが無理なことは明らかなので、\(n > 3\) とする。 ところで \(n/2\) と \(n\) の間に素数が一つ以上存在する(いわゆるベルトランの仮説)のでその一つを \(p\) とおく。 \(p\) の倍数は \([n]\) の中で \(p\) 自身のみだから、積 \(n!\) は \(p\) でちょうど1回しか割り切れないので平方数ではない。 したがって積が一致するような分割は存在しない。

次に \([n]! = \{1!, 2!, \ldots, n!\}\) の場合を考える。 (\([n]!\) という記号はここだけの記号である。) 二つの部分集合に分割して積が一致するならば、全体の積 \(\prod_{k=1}^{n}k!\) は平方数であるというところまでは同じである。 多分平方数にならないとは思うが、それを一気に考えるのは難しい。

簡単なところから考えると、\([2]! = \{1!, 2!\} = \{1, 2\} = [2]\) であるから明らかに分割できない。 \([3]! = \{1!, 2!, 3!\}\) の場合、\(3\) で割り切れる回数はそれぞれ 0, 0, 1 回だから、全体の積は 1 回しか \(3\) で割り切れず平方数でない。

少し一般化する。 \(p\) を素数とすると \([p]!\) 全体の積は \(p\) で 1 回しか割り切れないので平方数でない。 よって、\([p]!\) は積が一致するような分割を持たない。

同じように割り切る回数を数えることで次のことも判る。 奇素数 \(p\) に対し、\([2p]!\) は積が一致するような分割を持たない。 実際、数えてみれば全体の積は \(p\) で \(p+2\) 回割り切れるが \(p+2\) は奇数である。

と、ここまではすぐに考えたが、実際は別の方向に考えた方が良かったのである。

全体の積 \(\Pi_n = \prod_{k=1}^{n}k!\) をもう少し別の角度から眺めよう。 イメージとしては、\(k!\) という列を並べた三角形を、\(k\) の冪という行に分ける。

\[\Pi_n = \prod_{k=1}^{n}k! = \prod_{k=1}^{n} k^{n-k+1} \]

\(n\) が奇数の時、\(\Pi_n\) から偶数 \(k\) について \(k^{n-k+1}\) と奇数 \(k'\) について \(k'^{n-k}\) が平方因子として取り除けて、 \(\Pi_n\) の代わりに残った奇数の積 \(n!!\) が平方数かどうかを考えれば良い。 これは再びベルトランの仮説の出番で、\(n > 4\) とすると \(n/2\) と \(n\) の間に奇素数が一つ以上存在し、 これを \(p\) とおくと \(n!!\) は \(p\) でちょうど1回しか割り切れないので平方数でない。 したがって積が一致するような \([n]!\) の分割は存在しない。

\(n\) が偶数の時も同様の議論で、\(n!!\) が平方数かどうかの議論をすれば良く、 三度ベルトランの仮説から(偶数の二重階乗なので各数を半分にして) \(n/4\) と \(n/2\) の間に奇素数が存在することが言えて平方数でないと示せる。 結局積が一致するような \([n]!\) の分割は存在しないことがわかる。

まとめると、\(2\) 以上の任意の整数 \(n\) に対し \([n]!\) は積が一致するような二つの部分集合への分割を持たない。

2016年5月29日日曜日

LibreOffice のイタリア語UI

日常的なUIメニューに飽きてくるとソフトウェアのUIをイタリア語に切り替えるということをすることがある。 イタリア語ができるわけではない。 日本語や英語のメニューでこう書いてあった場所だからイタリア語のこの言葉の意味はそういう意味だ、と認識さえできれば大抵のことは何とかなるからただの気分転換だ。 一度、使用契約の更新の類がイタリア語で案内されて絶望的な気分になったことはあるが、その時も結局契約の書面自体は英語だった。 まあつまり、だいたい何とかなる。

で、LibreOffice である。

イタリア語に切り替えて、Calc で和を計算しようとした。 =SUM(A1:A19) みたいなことをセルに打ち込むわけである。

#NOME?

「はぁ?」である。 nome はイタリア語で「名前」である。 つまり関数名を間違ったときなどに見る #NAME? というエラーだ。

いやちょっと待て。 そこは日本語UIでも英語で #NAME? であって #名前? ではないぞ。 つまり? 逆に考えれば?

SUM という関数名も SOMMA とイタリア語化するのだ!

うわぁ、まじか…

ということで、とても使える自信が無いので諦めて日本語に戻した。 この挙動は Excel とかでもそうなのかな?

2016年5月5日木曜日

ピュタゴラス学派の失敗

ピュタゴラス学派は万物は数(整数またはその比)であるという思想を持っていた。 ところが、あるとき正方形の対角線に無理数(\(\sqrt{2}\))を見出してしまい、その発見者は海に沈められたとか何とか。 要するに万物は数「ではなかった」という結論を出してしまったので、ここではそれをピュタゴラス学派の失敗と呼ぶことにする。 もちろん、後世に与えた影響という意味ではこのピュタゴラスの定理はポジティブな評価を受けこそすれ失敗なんかではないと思われるわけではあるが。

さて、ピュタゴラス学派の失敗は、どこで道を踏み外したものだったのだろうか。 直接的にはピュタゴラスの定理を発見してしまったことにあるわけだが、もう少し深く考えたい。 離散的世界では幾何学が何かもっと別のものにならなければおかしいのではないだろうか。

離散的世界のモデルとして、世界は砂場の砂だと考えてみよう。 点は砂粒である。 直線が既に引ける気がしないが、とりあえず砂粒の間には「隣り合う」という関係があるとしよう。 そして任意に選んだ二粒の間を結ぶ最も少ない回数の隣り合う関係をその二点間の距離と考える。 距離の公理ぐらいは満たすと思おう(「隣り合う」の定義が曖昧なので何とも言えないが)。 距離を与える経路を直線ということにする(多分複数本引ける)。

と、こんな具合にユークリッド幾何学(はピュタゴラスの後の話ではあるが)とは違う世界で物事を考えないといけなかったのではないかと思うわけである。 こうすると三角形をどう考えても(直角三角形を考えるための「直角」をどう定義するか解らないが)斜辺の長さも常に整数なので、無理数なんか出現しない。 じゃあピュタゴラスの定理とは何を意味するのか? それは近似である。 平均的挙動である。 言い方を変えると極限である。 三角形を大きくしていくと比が収束していく先の話である。 常に極限を考えていれば、世界はのっぺりとした連続的なものに見えて、そこにユークリッド幾何学が現れる(ような設定も可能だろう)。

結局のところ、「万物は数」と離散的な世界観に基づいて考えたはずだったのに、 任意の二点間に一本の直線が引けるというような連続的空間の把握を重ねたのがそもそも間違いだったのではなかったか、と思うわけである。

2016年4月10日日曜日

グラフは2次形式、とか考えてみる

変数集合を \(V=\{v_1, \ldots, v_n\}\) とする。 適当な環 \(R\) をとり、多項式環 \(R[V]\) を考える。 この中の2次斉次多項式、つまり2次形式をグラフということにする。

\[g = \sum a_{ij}v_i v_j\]

\(V\) はもちろん頂点集合と考える。 \(a_{ij} \neq 0\) のとき、積 \(v_i v_j\) をグラフ \(g\) の辺といい、頂点 \(v_i\) と \(v_j\) は隣接するという。 辺 \(v_i^2\) をループと呼ぶ。 \(g\) が \(V\) の真部分集合 \(V'\) 上の多項式環 \(R[V']\) に含まれないとき、\(|V|\) を \(g\) の位数という。 ここで一つ注意として、\(a_{ij}\) は一番簡単な設定では \({0, 1}\) にしか値をとらないので整数と考えればいいが、 辺に何らかの値を持たせる (「2本ある」とか「容量が2.5」とか)必要があるときに \(a_{ij}\) の値としてコード化する役割を担うため、 係数環 \(R\) の選択の余地を残してある。 これは係数 2 を重複した辺の本数と思うか、割り振られた容量が 2 と思うかは解釈次第だし、 両方の情報を盛り込みたいと思ったら、係数も多項式環みたいなものを使って分けて考えるようにするのは自分の責任ですよ、という割り切りを意味している。

手始めに彩色数を考えてみる。 頂点に色を塗るのだが、隣接する頂点には別の色を塗らなければいけないという制約を付けるとき最低限必要な色数のこと。 係数環は \(\mathbb{Z}\) で良い。 色の集合 \(C_m\) を \(\{c_1, \ldots, c_m\}\) という集合とする(\(m\) はパラメータ)。 \(g\) の各頂点 \(v_i\) に色 \(c_j\) を対応させると、自然に多項式環の準同型 \(\phi: \mathbb{Z}[V] \rightarrow \mathbb{Z}[C_m]\) が定まる。 気付けば像もグラフになっている。 先程の「隣接する頂点には別の色」というのは、辺の像がループにならないということだ。 実は彩色数とは"グラフの準同型写像"でループができない最小の像の位数、みたいな言い方ができたのだ。 というのが今日の気付き。

以下余談というかあとがきというか。 世の中には代数的グラフ理論という分野があって、グラフは行列、ということで推し進められている。 プログラムのデータ構造的にも確かに似たようなものなので納得できるのではあるが、 有向グラフの特殊ケースとして無向グラフがあるように見えて(つまり対称行列だけが無向グラフという限定の方向)、ちょっと気持ち悪い。 その点、多項式方式は始めから無向だし(変数の積の可換性を仮定すれば)、ハイパーグラフは次数を上げるだけだし、どうだろう。 ちなみに、2次形式は行列、という見方も一般的なので、実際のところ何ら広がっていないのかもしれない。

2016年4月3日日曜日

区画整理記念碑を読んでみた

阿佐ヶ谷北側の暗渠を西に辿っていったところに、区画整理記念碑というものが建っている。 すぐ隣には石仏が数体ある。

桃園川の上流、という認識だったのだが、ちょっと見てみたら「千川用水」という文字が飛び込んできて気になったので、読んでみた。

夫区画整理之業也土木行政中至望之工事而其成否所繋地方隆替
最大矣抑千川用水貫流天沼地区東西灌漑排水利便居多然水路屈
曲河幅広狭不一旦近年伴郷邑急速発展埋立増築工事頻行沿岸住
宅日加多是以河床漸次埋塞用水減其使途一朝際会雨期即河水氾
濫禍害不可挙数為郷者必先揣知人之所苦殃之所起不可不講救済
之策於此有志会同而企図区画整理鳩首凝議前後数次不唯屏除水
害兼増減道路迂曲者直通狭隘者広闊使交通至便即公衆永祚也宜
速果断慣行捍烖興利豈可躊躇遷延乎於是精査一決議東京都当局
組織天沼土地区画整理組合而起工時昭和六年八月十五日也爾来
組合員五拾有余名偕協心勠力進而捐私資拮据精励夙夜任其経営
持或用地買収家宅移転等齟齬扞格有不如意雖遭遇幾多盤根錯節
毎循上司指揮役員画策善処組合員亦鞠躬竭力終始不懈功程克進
捗今茲昭和十三年五月一日竣成閲年七星霜整理地域総面積三万
五千有余坪工費雖就六万円地区内自田畑訖池沼沮洳地渾化住宅
地寔郷党開発一新紀元而吾人疇昔之願亦了矣
語曰田野闢民人給惟奕世住民享此余沢可以見其繁盛倍蓰於昔日
矣乃卜地建碑記整理梗概以伝後毘
   昭和十三年歳次戊寅孟夏  成斎 輿水季吉撰文並書

天沼地区を貫いて流れる千川用水はぐねぐねして河幅も一定せず、氾濫したりして大変だったので区画整理をすることにした。 東京都に働きかけたりして昭和六年に始まった工事がいろいろ協力もあって昭和十三年には完成した。 …というような(相当適当)文章だった。

「読んでみた」とか軽そうに書いてしまったが、 実際のところは写真に収めて後で文字に起こす作業が想像以上に面倒だった。 撮って帰った写真では上手く読めない文字があって二度三度再撮影したし。 知らない漢字がいくつかあって最後は漢和辞典と手書き入力の助けが必要だった。 「烖」(災の異体字)とか「勠力」「扞格」「沮洳」辺り。 「倍蓰」の「蓰」は五倍するという意味だそうで、機会があればどこかで使ってみたい。

2016年1月3日日曜日

2015年を振り返って — Ingress ばかりしていた

あけましておめでとうございます。

2015年が終わり2016年が始まりました。 そこで去年2015年を振り返ってみます。

ざっくり言って Ingress をしていた一年でした。 Ingress を始めたのは2014年の11月(Innovator メダルが銅なのでちょうどその頃)。 きっかけは、会社で運動部補助制度というのが始まったのに乗じて発足した散歩部で Ingress をやっているメンバーがいて 「散歩部の自主練アプリ」として紹介されたことでした。 なので主目的は歩くこと(後に Trekker メダルができたため、ますます自主練アプリとしての地位を確固たるものにすることになります)。 会社の帰りに一駅余計に歩く、二駅余計に歩く…ついには歩いて帰宅してみるというようなことをしていました。 その結果、2015年中に最終レベルの16まで到達しました。

ちなみに散歩部の方の活動も月一ペースで行っていて、昼前から夕方まで十数キロ歩くという「それを散歩と呼ぶのか?」と言われるような謎の活動になっています (まあ運動部って建前に実質がふしぎに合ってきてしまったような感じです)。 外部からの参加も歓迎いたしますので、参加してみたい方はご連絡お待ちしています。

そんなわけで、自由時間の多くを歩くことに費やしており、読書量は減少気味で、数学からは遠ざかっていた一年でした。 2016年は、少し Ingress プレイ時間を減らして他の趣味に振り向けようかと今日のところは思っています。

本年もよろしくお願いいたします。